2015年08月08日

谷崎潤一郎マゾヒズム小説集

谷崎潤一郎マゾヒズム小説集 (集英社文庫)谷崎潤一郎マゾヒズム小説集 (集英社文庫)
谷崎 潤一郎 千葉 俊二

集英社 2010-09-17
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エスカレートする遊びの中で、
少年と少女が禁じられた快楽に目覚めていく「少年」、
女に馬鹿にされ、はずかしめられることに愉悦を感じる男を描く「幇間」、
関東大震災時の横浜を舞台に、三人の男が一人のロシア人女に群がり、
弄ばれ堕ちていく「一と房の髪」など、
時代を超えてなお色鮮やかな、
谷崎文学の真髄であるマゾヒズム小説の名作6篇。
この世界を知ってしまったら、元の自分には戻れない。



サドと契約せよ。

安藤はマゾという感情は例えば
辛いものを食べておいしいという快感のようなものだと思っていました。
辛味というのは痛みであり、現象だけ見れば
単に舌(肉体)を痛みつけているだけです。
しかし幾つかの食べ物に対しておいしいという感情を持ちます。
おいしくないカレーというものはなかなかない。
カレーは高カロリー、他の栄養素も満点。
辛味+人間が美味しいと感じる何かを一緒に吸収することで
辛味を美味しいと誤認している…
マゾもまた痛みと何か(多分愛とか尊敬とか)を一緒に吸収することで
痛みが喜びになる。
マゾにとって痛みとはスパイスなのだと、
実際マゾでもサドでもない管理人はそのように
解釈していました。
「谷崎潤一郎マゾヒズム小説集」はそんな管理人のマゾ解釈とは
違った様相を見せています。
「日本に於けるクリップリン事件」では
「マゾとは実際に異性の奴隷になるのではなく
そう見えることを喜ぶのである。
本当に奴隷にされたならば彼らは迷惑するのである。
彼らにとって情婦や伴侶は単なるお気に入りの人形であり
よりよき人形にめぐり合えば当然
良い人形に乗り換えるのである。
また、彼らに忠誠や愛などというものはないから
飽きてしまえば捨ててしまおうとする」(意訳)
なるほど!こういうことだったのか!
色々と腑に落ちる解説がされていて面白かったです。
一番好きな短編はこの「日本に於けるクリップリン事件」で
ミステリ風のストーリーもさることながら
この短編を読むことによって他の短編の理解も深まります。
「少年」で少年達があっさり主人を変えてしまった訳、
「幇間」が三瓶の笑顔で締めくくられた訳、
「魔術師」で羊に落ちてもなお
寄り添おうとした恋人の描写がそっけなかった(ともすれば迷惑そうにも読める)訳、
「一と房の髪」でディックが小説家に怪我の真相を語った訳
がなんとなく分かります。
彼らはごっこ遊びを楽しむ。
故におもちゃは簡単に変えてしまうし、
予定通りではなくとも十分に遊べれば満足できる。
古いおもちゃを捨てたのにおもちゃの方が寄ってきたら不満に感じ、
秘密の犯罪も観客がいたほうが盛り上がる。
そういうことなのかもしれません。
最初に「少年」を読んだときはその変態性に困惑したのですが
読めば読むほど味わい深い。
人間の奇妙な性が美しく書かれ
それでいてエンターテイメント性まで兼ね備えている。
古く読まれているだけあって大変楽しめました。
「幇間」「魔術師」は場面に動きがあって
映像栄えしそうだなと思いました。
ストーリーを含めて日本アニメーター見本市にありそうな感じです。
時代が一周してきたのかもしれません。
普段は解説やあとがきといったものは流し読みするだけなのですが
解説まで面白くて読んでいて楽しかったです。


谷崎潤一郎、また読みたい。


posted by 安藤 at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 集英社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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